薄氷

書き散らし場

塵芥の夢、天上の星

先日、天開司さんのアルバム制作並びにオンライン3Dライブ開催のためのクラウドファンディングが、目標金額を大きく上回る形で終了した。

これは彼の悲願達成によって感情を揺さぶられた一般人の自分語りである。

 

 

「2021年は歌の年にしたい」として、2020年のVtuber紅白歌合戦で突然発表されたアルバム制作のためのクラウドファンディング。一ヶ月ほどの支援期間ののち、最終的には2,500万円のライブ開催ストレッチゴールを遥かに超え、達成率340%以上、3,400万円もの支援が集まった。クラウドファンディング終了間際に行われた見守り配信は、進捗や様々な新情報、リロードのたびにどんどん増えていく支援金額、お祝いのスパチャ、温かいコメント、(あと33-4ネタをきっちり回収するご本人+コメント欄)など、何もかもがうれしく、楽しい時間だった。

 

そして、配信を閉じる直前「ありがとうございました」と深くお辞儀した天開さんを見て、私は心から「この人を応援していてよかった」と感じた。じゃんたまバーチャルインターハイでの嶺上開花の瞬間も、新曲「セントポーリア」を聞いた時もそうだった。私が天開さんを知ったのは昨年の6月ごろであり、まだ半年ほどしか彼を追っていない新参だ。けれども、その短い時間で、すでに何度もそう思わされてきた。

 

 

天開司さんと歌との関係性は中学生の頃に遡る、らしい。(全ての情報を拾えているわけではないため、正確性に欠けていたら申し訳ない)元々自分には何もできることがない、と感じていたところに人から歌を褒められたのがきっかけだったそうだ。ボイストレーニングに通いライブも行ったのだが、うまくいかずに「打ちのめされてしまった」と言っていた。

 

少年時代について話すこの配信の切り抜きを、私はクラウドファンディングの達成後に視聴した。そうしたエピソードがあることは知っていたのだが、どことなくしっかりと聞くのを避けていた。つかラジ(ジョー・力一さんの回)でちらりと出てくる「歌詞は遠い昔に書いたことがあるけれど、すごく笑われてしまって半ばトラウマになっている」などのエピソードで片鱗だけをかじって、ちくちくと心を痛めていた。だが、今回初めてしっかりとこの件について彼自身の言葉で聞いた時、なぜ自分が天開司さんに惹かれるのか、またひとつわかった気がした。

 

自分がこれだけは、と思ったものを手放すのはどんなにしんどかっただろう。けれども彼は、今その星に再び手を伸ばして、4,000人を超える人々の拍手喝采とともに掴もうとしている。

 

 

僕には少しの才能があった。大きさで言えば赤ん坊の小指の爪くらいの、本当にちっぽけなものだ。文章を書くことが、人より少しだけ得意だった。幼少期にはたくさんの小説を書いてノートをいっぱいにした。友達に見せるのはもちろん、一定以上の年齢になるとネット上にも公開した。いわゆる二次創作の方面でも活動して、いくつか同人誌も出した。ありがたいことに、人は僕をそれなりに褒めてくれた。今周りにいる友達も、僕が書く文章がきっかけになって仲良くなった人がほとんどだ。

 

けれども、文章以外は何もなかった。少なくとも思春期の頃はそう思い込んでいた。自分から文章を取ったら本当に無価値でどうしようもない人間になってしまうといつも怯えていた。必死に頑張ったけれど誰かに敵わないという場面にもいくつか出会ってしまい、恐怖はどんどん膨らんでいった。

 

そこで僕はどうしたか。ある時期を境に、文章を書くことに対して全く努力をしなくなった。書きたい作品については書いたけれど、例えば指南書を手に取ったり、好きな小説を読んだりなど、自分の能力向上に寄与する行動をほとんどとらなくなった。頑張って必死になってそれでもダメだと思わされるのが、自分の得意を取り上げられるのが本当に怖かった。努力をせず手をつけなければ、ずっと書ける自分のままでいられる気がしたのだ。小説を読むことそのものも嫌いになった。文筆で身を立てたいと心の隅でずっと思っていたけれど、言えなかった。

 

社会人になり、一瞬だけ文章を書く仕事に就いたものの、会社の都合で全く違う業務を担当することになった。同時にかなり多忙になってしまい、一年ほど書くことから離れていた。仕事で成果があげられるようになると「もう書かなくてもいいんじゃないか」と思うこともあった。もう他に人から認められることもあるし、どうせ赤子の爪ほどの才能だったのだから手放してもいいかもしれない、と。けれど、このちっぽけな才能を、まだ握りしめていたいという気持ちも残っていた。僕はかつて、僕にとって一番美しいと思う文章が書ける自分のことが、とても好きだったのだ。

 

 

そして、天開さんに出会った。幾度も心を揺さぶられて、「この人を書きたい」と思った。この人の仕草のひとつひとつを、時折乱高下する声の震えを、バーチャル世界にあって比較的人らしい姿に灯る人工的な一筒の光を、自分だけの言葉で、書きたいと思った。

 

じゃんたまバーチャルインターハイに涙した十一月の末、やっと筆をとった。当然、ブランクによって速度も出てくる言葉の品質も落ちていた。さらに半年ほど前に天開さんとは関係のないところで書こうとしていたものがあったのだが、そちらは完成せず頓挫してしまっており、その恐怖心もあった。また書けないのではないか、もう二度と書けないのではないかと思いながら、何時間もかけて書き直しを繰り返した。たった500文字と少し、数万文字を書き上げていた頃と比べると、本当に短いものだった。けれど、あの輝かしい嶺上の花に、どうしても言葉を送りたかったのだ。

 

そうして書いた作品は、ありがたいことに、たくさんの人に見ていただけた。天開さん自身がどう思われたかはわからない。だが、自分では、書けてよかったと感じるほどの出来にはなったと思う。やはり私は自分の文章が好きだな、と改めて感じられた。

 

書けないかもしれないということに向き合うのは怖い。本当はこの文章を書いているのも怖いし、制作中のファンアートの小説も、うまくいかないと苦しくなってしまうことがある。けれども、今なら他の小説を読んだり書き方を学び直したりすることだってできそうな気がする。今度はちゃんと自分を好きになって、小さな才能を育てていきたい。賞賛や自己存在の維持ではなく、大好きな人の姿をより美しく書くために。

 

夢を叶える彼が好きだ。小さなことをひとつひとつ積み上げて天上の星に手を伸ばすその姿が、自分にはできなかったからこそ、眩しかった。そして、天開さんのきらめきが、手放そうとさえ思っていた自分の大事なものにもう一度火を灯してくれた。

 

 

大成功に終わったクラウドファンディング。これもまた彼が少しずつ育ててきた種の一つで、CD・ライブという形で大きな花を咲かせることになるだろう。配信中、祝福で雪崩のように進むチャット欄の中に私も、おめでとう、と書き込んだ。そうして、それだけでは言い難い気持ちを言葉にしたくなって、ここに書き留めている。

 

夢を叶えてくれて、ありがとう。書きたいという気持ちにさせてくれてありがとう。できるだけ長く、その輝きを見守らせてもらえたなら、これほど嬉しいことはない。